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猿田彦大神図 掛軸 江戸時代 土佐光文 土佐派 日本画 安政度御所障壁画制作

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猿田彦大神図 掛軸 江戸時代 土佐光文 土佐派 日本画 安政度御所障壁画制作

画工頭 従四位下・備前守表具 約39 ×175.8cm絹本 約27.5×87.3cmオレ 経年の傷み 掛諸傷み絹本彩色綺麗木軸 黒漆 サイド剥落あり署名に従五位上とありますので、38~45歳くらいに描かれたものです。本物保証猿田彦大神ものごとの最初に現れ、万事良い方向へおみちびきになる大神で、建築・方位除け・災難除け・開運・事業発展・五穀豊穣・大漁満足など、みちひらきの御神徳で知られています。土佐光文文化9年3月25日(1812年5月6日) - 明治12年(1879年11月9日)は、日本の江戸時代後期から明治初期にかけて活動した土佐派の絵師、日本画家。土佐派分家の2代目土佐光孚の次男で、後に本家に養子入りし、土佐派第22代を継いだ。京都出身。兄に分家を継いだ土佐光清がいる。宗家の土佐光禄に後継がいなかったため、嗣子となり土佐本家を継ぎ、禁裏所預となった。安政度御所障壁画制作では、画工頭を務めた。絵師としては東山春秋画会に参加し、解散後は中島来章・塩川文麟らと如雲社を創設し、明治の京都画壇の架け橋となった。明治維新後も、明治4年(1872年)の京都博覧会で賞状を受けるなど活動を続けている。明治12年(1879)死去、享年68。弟子に川辺御楯、川崎千虎、柴田真哉など。

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